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東京高等裁判所 昭和53年(ラ)557号 決定

第五五二号事件抗告人・第五五七号事件相手方(以下「抗告人」という。) 甲野咲子

右代理人弁護士 市橋千鶴子

同 林紀子

第五五二号事件相手方・第五五七号事件抗告人(以下「相手方」という。) 甲野一郎

右代理人弁護士 中村喜三郎

主文

原審判を次のとおり変更する。

相手方は抗告人に対し、婚姻費用の分担として

(一)  直ちに金四五〇万円を

(二)  昭和五三年一二月一日から抗告人と相手方との別居の解消又は婚姻の解消に至るまで毎月末日限り一箇月につき金一五万円を

それぞれ支払え。

相手方の本件抗告を棄却する。

理由

抗告人は、「原審判を取り消す。相手方は抗告人に対し、婚姻費用の分担として昭和五〇年五月以降毎月金三〇万円の割合による金員を支払え。」との裁判を求めるというのであり、その理由は別紙記載のとおりである。

相手方は、「原審判を取り消す。抗告人の申立てを棄却する。申立費用及び抗告費用は抗告人の負担とする。」との裁判を求めるというのであるが、抗告状に追って準備書面で陳述する旨の記載があるのみで、いまだにその理由を記載した書面を提出しない。

そこで、当裁判所は、次のとおり判断する。

一  記録によると、次の事実を認めることができる。

(一)  抗告人(大正四年三月二五日生)と相手方(大正六年一一月一五日生)は、昭和一三年一〇月から事実上の婚姻を継続し、昭和三二年八月二一日婚姻の届出をした夫婦であるが、昭和五〇年五月二七日から別居するに至り、抗告人は、相手方を相手方として、東京家庭裁判所に、同年九月離婚の調停を申し立て、次いで、右事件係属中の昭和五一年二月一八日に本件の婚姻費用分担の調停を申し立てたが、いずれも調停が成立せず、そのため後者については右同日に審判の申立てがあったものとみなされることとなった。また、抗告人は、昭和五二年三月相手方を被告として、東京地方裁判所に離婚等を求める訴えを提起し(同庁同年(タ)第九七号事件)、同事件は同裁判所に係属中である。

(二)  相手方は、その父甲野太郎(昭和四〇年に死亡)が東京都豊島区○○で、仏具等の卸売商を営んでいたので、その手伝いをしていたが、昭和二二年五月、同都渋谷区○○×丁目××番所在の土地を賃借して、建坪約一二坪の店舗を構え、仏具類の小売商を開業した。相手方が外商を担当し、抗告人が店番を担当して、営業成績は順調に伸び、昭和二八年には建坪約三〇坪の店舗に改築した上、同年一一月に経営形態を有限会社に組織替えし、有限会社甲野神仏具店を設立して、相手方が代表取締役に、抗告人が取締役にそれぞれ就任した。相手方らは、昭和四二年六月、甲州街道の拡幅に伴い借地の範囲が縮小したので、これを契機に、旧建物を取り毀し、その跡に鉄筋コンクリート造地下一階付五階建陸屋根床面積延べ五六三・七七平方メートルの建物(以下「甲野ビル」という。)を建築して、その二階ないし五階部分及び地下一階部分につき相手方の名義で、一階部分につき右有限会社の名義で各所有権保存登記を経由し、同じころ、旧建物の古材を用いて、神奈川県相模原市○○×丁目×××番地に木造瓦亜鉛メッキ鋼板交葺二階建店舗居宅を建築した。相手方らは、右甲野ビルの二階、三階、地下一階の各全部及び四階の一部並びに相模原市の二階建店舗兼居宅を第三者に賃貸し(右有限会社にも四階の一部を賃貸している。)、相手方が同人名義でその賃料を取得してきた。その賃料収入は、双方を合わせて、一箇月につき昭和五〇年五月当時四一万五〇〇〇円であり、昭和五二年五月当時四四万三〇〇〇円であったが、昭和五三年五月には約四七万八〇〇〇円に達した。

他方、抗告人は、大京開発株式会社から、昭和四一年四月に福島県西白河郡西郷村大字熊倉所在の山林二筆合計九三六平方メートルを代金四五万円で、昭和四二年六月に同村大字小田倉所在の山林一筆六六〇平方メートルを代金六〇万円でそれぞれ買い受け、いずれも抗告人名義で所有権移転登記を経由した。

(三)  抗告人と相手方の間には子がなかったが、お互いに協力して円満な家庭生活を築いてきたところ、抗告人が、昭和四一年二月ころ、相手方の隠し持っていた女性の写真(相手方、乙山春子、夏子の三名が写真館で撮影したもの。夏子は乳児であり、相手方がこれを抱いてミルクを飲ませている。)を発見し、その関係について相手方を詰問するようになってから、不和が生じ、その溝が深まるにつれて、相手方は、抗告人に対し、しばしば暴力を振るうようになった。

両名は、甲野ビルの五階及び四階の一部に居住していたが、抗告人は、相手方と別居することを決意し、昭和五〇年五月二七日、相手方の留守中に、それまで隠し貯めていた現金二〇〇万円を携えて、同所を出るに至った。

(四)  抗告人は、直ちに神奈川県町田市○○所在のAマンションの一室を賃借し(賃料・共益費月額五万八〇〇〇円)、昭和五一年九月に同市○○所在のBヶ丘コープの一室を賃借し(賃料・共益費月額四万三六〇〇円)、更に、昭和五三年五月一〇日から現住所のアパートの一室を賃借して(賃料月額二万五〇〇〇円)、生活を維持してきたが、抗告人は、短期間のうちに転居を繰り返したこと、相手方との抗争を維持するために保全処分を執行して、多額の保証金、弁護士費用、調査費用等を要したこと、家具調度品を調達する必要があったこと等のため、持ち出した二〇〇万円も短期間のうちに費消し、親戚・知人から借金をしたり、和裁、雑役等の内職をしたりしたものの、労働能力及び収入に限度があって、自活困難に陥り、昭和五三年六月五日から生活保護法による生活扶助・住宅扶助(月額五万九七三〇円)を受けるようになり、右扶助と国民年金の給付(月額一万八〇〇〇円)によって生計を維持している。

(五)  相手方は、前記(二)の賃料収入を得ている上、前記有限会社の役員報酬として、昭和五〇年には年額一八〇万円の支払を受け、昭和五三年五月には月額二〇万円の支払を受けていた。また、右有限会社は、相手方の個人企業に等しいような実態のものであると見られるところ、第二二期決算期(昭和四九年一一月一日から昭和五〇年一〇月三一日まで)以降も毎年多額の利益を得ている。

他方、相手方は、甲野ビルを建築するのに、八千代信用金庫から二三五〇万円を、一〇年間の割賦弁済の約定で借り受け、毎月二五万円くらい(昭和五〇年ごろ)ずつ弁済していたが、抗告人の別居後は、その分だけ生活費の負担が軽減したとして、右の弁済額を自主的に約五万円上積みし、毎月三〇万円くらいずつを弁済するようになったほか、相手方の小遣の額も増えるようになった。また、相手方は、甲野ビル及び前記二階建店舗兼居宅の維持費等として月額約六万円を支出し、右不動産に対する公租公課として年額三三万六〇〇〇円を支出している。更に、相手方は、生命保険・簡易生命保険の保険料として、昭和五一年当時、年額一三六万四五九五円を支払っていたものであり、その後もほぼ同額の支払を継続している。

二  右認定事実に照らして検討するに、抗告人と相手方は別居している夫婦であるが、少なくとも婚姻が継続している以上、相手方は、抗告人に対し婚姻費用を分担する義務があるといわなければならず、また、前記のような当事者双方の別居に至った事情、別居後の情況等にかんがみるとき、その額は、双方が同一程度の生活を維持するに足りるものであると解すべきである。そして、前記のような双方の資産・収入の状態、抗告人の寄与分、双方の職業能力の程度等に加え、抗告人が、「別居直前の生活費は、交際費等を含めて月一四万円くらいかかった。」旨供述し(昭和五二年五月一七日審問期日調書。当時は家賃の支出がなかった。)、また、相手方が、「昭和五三年五月現在の生活費は月一七、八万円である。」旨供述している(同月一五日審問期日調書)こと等を考慮すると、別居後における抗告人への分担額としては、月額金一五万円の限度で相手方に負担させるのが相当である。そして、抗告人が二〇〇万円を持ち出していることを考慮し(これが全額抗告人の特有財産に当たると見るのは相当でない。)、これを別居後のほぼ一年分(昭和五〇年六月分から昭和五一年五月分まで)の生活費に当たるものと見て、抗告人の負担すべき分担金は、昭和五一年六月一日以降の分についてこれを定めるのが相当である。なお、抗告人は、相手方に対する保全処分の執行等により多額の裁判費用を支出したというのであるが、このような相手方に対する争訟のために支弁した費用につき、相手方から婚姻費用の分担という名目で給付を受け得るとする道理はないものというべきである。

そうすると、相手方は、抗告人に対し、婚姻費用の分担として、既に弁済期の到来した(遅くとも当該月分を当該月の末日までには支払うべきものである。)昭和五一年六月一日から昭和五三年一一月三〇日までの分として合計金四五〇万円を直ちに支払うべきであり、昭和五三年一二月一日以降の分として、同日から抗告人と相手方との間において別居が解消し、あるいは婚姻が解消するに至るまで、毎月末日限り金一五万円ずつを支払うべき義務がある。

三  したがって、抗告人の本件抗告は右の各金員の支払を求める限度で理由があるから、原審判は右のように変更すべきであり、また、相手方の抗告の理由はこれを知る由もないが、相手方の本件抗告が失当であることは、右に説示するところから明らかであり、これを棄却すべきである。

よって、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 貞家克己 裁判官 長久保武 加藤一隆)

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